心は揺らぐ。揺らぎながらもどう在るかが肝。



強い光のもとでは、輝きは増すし影は濃くなる。
光の当たるところを見ると「うわー、陽炎が出てるー。太陽が真上から照りつけるこの時間帯はおとなしく部屋の中で過ごす方がいいわね。外に出ても日焼けするし。木陰で三ツ矢サイダーでも飲みながら寛ぎたいわぁ」と心の中でつぶやきながら、ちょっとずつ晴れやかでワクワクする心持ちになったし、影の方に視点を移すと、黒く塗りつぶされたようなタイルに目が止まり、【できればなかったことにしたい、昔のあんな事こんな事】むくむくとが立ち上がり、気持ちがどんよりした。

太陽から逃れるように涼しい店内に逃げ込み、ぴりりと辛味の効いたおろし蕎麦を啜りながら窓の外を眺めていた。四角く切り取られた景色を見ながら何を考えるでもなくぼんやりしていたのだけれど、光の部分を見ていた時間と、影に目をやった後の時間では、頭の中をよぎる映像も心の状態も、全然違った。
何気ない風景や状況も、どこに視点を合わせるかで感じる事や思う事が変わり、瞬時に心は移ろうのだな。
どの気持ちでいるのが良い、ということはないが、心というものは色んなことに影響を受け、形を
変えてしまうのだということを再認識した。

揺らぐ心とどう付き合うか、訓練あるのみ。

何かを見て、誰かに何かを言われて、心がぐらぐら揺れたとしても「ふむふむ、今そういう気持ちなんだな」とか「あー、そこに目がいくのか、それってあの頃の私の視点と似てるよね」とか「なんかモヤモヤするよねー。なんとなくだけどね」とか、距離を置いてただ眺める、という練習を毎日のようにしている。「どう思ったって、どう感じたっていいよ」って突き放して見る、という練習。

こういうのって”毎日の練習”にしないと、すぐ元の通りに戻っちゃうんだよね。元の通りってどういう状態かというと「大人になろう」「いい人になろう」として、感情をむりやり捻じ曲げてコントロールしようとする、っていう状態。ポジティブっぽい感情は許すけど、後悔・妬み・嫉み・怒り・悲しみ、とかの心の動きを「悪者」にして退治したり追放したり無視しようとしたりしちゃうってこと。
思うことはしょうがない。だっていろんな刺激に影響を受けて、思ってしまう、んだから。「悪者」の感情が出てきても、しょうがない。だって、思ってしまう、んだから。だって嫌なことは嫌だし、ムカつく時はムカつくじゃん。
慣れないうちはどうしても「いい方へ」ってしちゃうけど(そうするやり方に慣れているから)、無理はやっぱりダメだね。力まなくてもいいようになるまでは、【心はいかようにも移ろう。ま、そういうもんだから、心は!と言いきかす】

「心が移ろう。それもOKよん」とさらりと思えるまでは、練習練習。「くるくる変わっちゃう、そういうもんだから」と言いきかす。
美味しいお蕎麦を啜りながら、こんなことを考えてましたー。



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