見たことを思い出すだけで感情がひっぱりだされる

渋谷によく行ってたイタリアンのお店があって、
そこの店員(男子)がめっちゃタイプ。

3回くらい行ったころ「いつもありがとうございます♡」とかわゆく声をかけてくれ、そっちがその気ならこっちも、と「あれー、覚えててくれたんだ、うれしー」と猫なで声を出し、なんやかんやでメアドをゲット。

後日めでたく飲みに行き、酔った勢いで乗り込んだ彼の家があったのが、下北沢でした。



(遠い目。。。。。)



大好きな俳優さんを劇場の外で出待ちしたのも下北。
片思いの人とランチをしたけど顔に見とれすぎて味が分からなかったのも下北。
CUTIEというオサレ雑誌片手に古着屋さんを回ったのも下北。


私の青春が詰まっている場所なんだわ、下北沢は。




さて。
おひさの下北沢に行ったのは講演会に参加するため。
【親子でつくる見たこと作文】著者の山口紀生先生のお話しを聞いてきました。



ご自身がどのようにして教育に携わるようになったか、小学校の国語教育がどのように進められているか、コミュニケーションとはなにか、を現場での経験を元に語ってくださいました。


独自のメソッドである「見たことを順番にかけば誰でも作文を書けるようになる」という【見たこと作文】。

子供たちが国語嫌い、作文嫌いを克服できるだけでなく、作文を書く過程を通して親子のコミュニケーションが活発になるという素晴らしいメソッドでした。



先生の言葉はどれも印象的だったのですが最も私の心に響いたのは「親が子供に「何が見えた?どんな形だった?」とシンプルに問いかけるだけで、しぜんとその時の感情も蘇ってくる。目にした場面をどう語るかに、気持ちが滲みでる」という言葉。




そうだよな。
同じ景色を見たって、その景色の中のどのポイントに着目するかは人によって全然違うし、何を見て何を感じたかにその人固有の感覚が現れるもんね。



わかり合っているつもりのふたりが同じ場所に居ても、全てを共有できるわけじゃない。
そこでそれぞれが何を見ているか、そしてどう感じているか。
それはその人独自のものだ。


実在するモノ、をどう見るかだけでなく、今という現状の中に「希望」を見出すか「不安」を見つけるか、で想像している世界の彩りは別のものになってしまう。



こういうすれ違い、分かり合えなさが、人と人との間にドラマをうむなと、思った。







そういえば。
仲良くなったイタリアンレストランの男の子は「実はあなたは元カノに似てるんだ。昔を思い出して辛い。。。。。」と言われ、撃沈したのでした。



私を通して、元カノを見てたのね。。。



下北沢の景色を見ていたら
昔のことを思い出したよー。










熱燗でもひっかけなきゃ、やってらんないわ〜。






















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