明日が来る、と思って生活しているのは傲慢なのかもしれない

全ての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々と続く「生活」だけなのである。


と、星野源さんはこの本の中に綴っていた。

そうだよなぁ(u_u)

彼が幾度となく死の淵に立たされたからこそ、この言葉があるのだろう。でもこれは、いま健康でのほほんと生きている私にも響いた。「明日が来るのが当たり前のように思って今日を無駄に過ごしたらそれは傲慢だよな」と思う。

「死」は怖いことではない。「死」があるからこそ、生の密度を濃くすることができるのだ、と思う。「死」を抗うことはできない。いつその時が来るかもわからない。だからこそ「今」が愛おしいし、「今」を積み重ねることの先にしか明日はないし、未来はない。

正直に生きているか。全力で生きているか。誤魔化してないか。

死の間際、走馬灯のように過去を見つめた時に「あの時、◯◯しておけばっっ」では遅いのだ。



明日、突然、近藤智子が終わっても、悔いがないように生きよう!と思う。





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