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2017年初日から父の一言が刺さりました。

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母がいけた花、父の手描き(蛍光ペン)の”賀正”。 手作り感溢れるおもてなしに心が和みました。 実家で過ごす元旦。 食べて飲んでしゃべって笑って。 楽しく過ごしていたところへ、突然、 父が一言。 「やりたいことをやれているよね。羨ましいよー。友人も応援してくれているんでしょ?我ら家族も反対していないし、好きなようにすればいいと思っているしね。夫や子供もいない。何にも縛られていない。才能もある。なのに、充分な結果が出ていないよね。 なんでかね。 それはねー、ただただ努力が、圧倒的な努力が足りていないと、思っていたよ。」 わお。 いきなりの一撃。 しかも「思ったよ」ではなく「思っていた」と。 (そか。ずっと思ってたか、、、) さらに続きます。 「全ての条件が整ってるんだから、あとはやればいいだけだよねー。今年こそやってねー。」 ニコニコして言い放つ父。 はいっ。やります。私もそろそろかなー、って思ってたんで。 家族の力は偉大です。 遠慮なし、直球。 それは愛なのだ。 愛には最大級の喜びで お返ししたい。 遊ぶように、楽しみながら いい作品を創りたいです。 やったるで❗️

柔道と仕事、心がけていることは同じ。

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日々の稽古で心がけているのは 【どんな状況でも、イメージした通りに身体が動かせるかどうか】 技を知ってるだけではダメ。 美しく正しく、そして何度繰り返しても同じように出来るか。 体の隅々まで、意識が行き渡っているか。 稽古の段階で出来ていないと 乱取り(試合)になった時、技が出ないから。 これは柔道だけに限ったことではない。 仕事でも同じことが言える。 いつでも、どんな時でも同じクオリティで出来るか。 隅々まで配慮できているか。 日々、技術や知識に磨きをかけているか。 普段から出来ていないと いざという時に力を発揮できない。 道場の片隅で パソコンを叩きながら、 昨夜の稽古の名残りを 身体中の筋肉痛から感じつつ 次の稽古が待ち遠しくてうずうずする。 ポーカーフェイスを装いながら 「私ならここで奥襟持つんだけどな〜」 「あ、あのタイミングで足技!上手いなぁ」 とか、研究してる。 それを稽古で試したい。 日頃から備えてるから 実践を楽しめる。 柔道も仕事も、同じ。

弟子にしない!ときっぱり断られて気づいたこと

私が心酔するセラピストの先生に「師匠!!弟子にしてくださいっ」と言ったら 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 『◯◯先生のところで学びました』なんて看板掲げなくても、ひとつのツールとして理論や技術を身につけてどんどん使ったらいいんだよ。 自分で使いこなせること、それを使ってちゃんと自分の人生を歩むこと。 そのために伝えてるんだから。 枠の中に 留まって小さくまとまらずに、自分全開でのびのびやりなされ。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 という主旨のことを言われた。 その時、私は 『◯◯先生のところで学んでいた私はすごい』『あの先生のところにいた人なら間違いない』というお墨付きが欲しかったんだなと気づいた。 冗談みたいに「弟子にしてくださいよぉ」と言った私に対して穏やかに真摯に答えてくれた先生の姿をみて 「先の見えない不安を”先生の弟子”という保証をもらって、安心感を得たかったんだな」と思って、恥ずかしくなった。 同時に「この先生の元で経験を積むことができて良かったな」と嬉しくなった。 人生は予測のできないことばかり起きる。 その中、何を選び取るかは自分次第。 世の中にはいろんな認定資格があり、いろんな先生がいて、いろんな理論がある。 何を学んでもいいし、誰のところに行ってもいい。 でも結局、自分の人生の責任は自分が取るしかない。 弟子にしない! とはっきり言い切ってくださった先生。 信頼関係があるからこそ、と受け取りました。 私の底力を信じてくれているんだなぁと。 これからの私の生き様を、楽しく見守ってもらいと思いました。

”才能”があるかないかに囚われず、目標を達成する方法とは?

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チャンスが到来した時、ずっと夢にみていたことに挑戦できる機会に恵まれた時、そこまで持ちつづけていた想いが強ければ強いほど「失敗できない」「爪痕残したい」「次に繋げたい」「認められたい」そんな気持ちがむくむくと湧いてくる。 こういう時こそ深呼吸。 自分を大きく見せたり、実力以上のことをしようとしたりして、力んでしまう自分。 それを落ち着けるために【自分のやるべきこと】をシンプルに見直すといい。 いま何が求められているか。 それに対して自分ができることはなにか? いつまでにやらばければいけないのか? 曖昧にせず、「日にち」「分量」「時間」などの具体的な数字に落とし込んで紙に書き出す。俯瞰でみる。 「イメージ」「想い」「やる気」みたいなふんわりしたものは外からの刺激に左右されやすいから。 もちろん、その時々で自分がなにを感じているか、感情にフォーカスすることは大事。 感情は行動の原動力になるし、感情をないがしろにすると思わぬところで自分で自分にブレーキをかけることになってしまう。 曖昧なまま走り出すと、気持ちが盛り上がっている時はいいが、ちょっとした失敗や思い通りにならなくなったらすぐ心が弱くなってしまう。 人の言葉が気になる。 視野が狭くなる。 外側の反応に左右される。 ついには「才能がないんじゃないか?」という、大げさな思考にはいってしまう。 才能とはなにか? それは「情熱や想いを熱く持ちながらも、冷静にこつこつとやるべきことを積み上げられる力」のことだと思う。 「すぐやめない、継続する力」とも言えるだろう。 気弱になって、才能があるとかないとか持ち出すようになったら、一息いれよう。 英気を養って、そこからまた続ければいい。 辞めずに続けていれば、目標は必ず達成できる。 ということで。 カフェで一息いれてるところ。

【峠】 真壁仁 著 POET

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峠は決定をしいるところだ。 峠には決別のためのあかるい憂愁がながれている。 峠路をのぼりつめたものは のしかかってくる天碧に身をさらし やがてそれを背にする。 風景はそこで綴じあっているが ひとつをうしなうことなしに 別個の風景にはいってゆけない。 大きな喪失にたえてのみ あたらしい世界がひらける。 峠にたつとき すぎ来しみちはなつかしく ひらけくるみちはたのしい。 みちはこたえない。 みちはかぎりなくさそうばかりだ。 峠のうえの空はあこがれのようにあまい。 たとえ行手がきまっていても ひとはそこで ひとつの世界にわかれねばならぬ。 そのおもいをうずめるため たびびとはゆっくり小便をしたり 摘みくさをしたり たばこをくゆらしたりして 見る限りの風景を眼におさめる。 【峠】 真壁仁  著 *:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜ 私もいま 人生の峠に立っています。 眼下に広がる景色は、幼い頃に想像していたのと違いますが だいぶ面白そうです。

【あいたくて】工藤直子 著 POET

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だれかに  あいたくて なにかに  あいたくて 生まれてきた_____ そんな気がするのだけれど それが   だれなのか   なになのか あえるのは  いつなのか_____ おつかいの  とちゅうで 迷ってしまった子どもみたい とほうに  くれている それでも  手のなかに みえないことづけを にぎりしめているような気がするから それを手わたさなくちゃ だから あいたくて 【あいたくて】工藤直子 著 *:..。o○☆゜・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゜ 空を見上げると思い出す詩。 私はどんな”ことづけ”を握りしめているだろうね

【羊と鋼の森】宮下奈都 著 を読んで

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素晴らしい作品に出会うと、比喩ではなく心が震える。 その証か、私は電車の中では涙をこぼしてしまった。 通勤中、本に没頭してしまい、 つい下車するのを忘れた。ある一文に心を持っていかれてそこから考え事をはじめてしまって、現実から離れてしまったのだ。 電車の中では泣いてしまうなんて、いま振り返ると恥ずかしいけれど、その時は他人にどう思われているかなんて考える余地もないほど、感動していた。 その一文には、主人公が自分の在り方に迷っている時に先輩から聞いた話し、が書かれている。 それが後に主人公を導く灯火になっていくのだが、 私もその主人公同様、その一文と出会えたことにとても深い意味を感じた。 いま、この文章に出会えたことが偶然とは思えなかった。 その文を、私はノートに記した。 いつでも見返すことができるように。自分自身の脳裏にも刻めるように。 本屋大賞を受賞したこの本を、これから手にする方もいらっしゃると思うので、私の心を震わせたその一文をここで紹介することは避けるが、私が作品を描く時も私が体験したような心の震えを感じてもらえたらいいなぁと思った。 物語を書く者としてどうあるべきか、その姿勢を学んだ気がする。 静かで詩的で、情熱に溢れた、素晴らしい作品でした。